アクショナブルな時代のゲノム医療と心のケア
藤田医科大学病院
臨床遺伝科
愛知県豊明市沓掛町町田楽ヶ窪
全ゲノム解析での診断アプローチ
多くの先天性・遺伝性疾患などの希少難病は遺伝子の変化が原因で、遺伝子の検査で診断することができます。従来の遺伝子の検査は、疾患の原因遺伝子が同定されている場合に限り、原因遺伝子の塩基配列(遺伝暗号)を解読し、病因の変化を同定していましたが、原因遺伝子が同定されていない場合はお手上げでした。ところが次世代シーケンサーという技術革新により、解読速度が速くなりコストも低下し、方法論が一変しました。
まず、すべての遺伝子の解読をし、そこからコンピュータープログラムにより遺伝子の変化を同定するという「エクソーム解析」が主流になりました(図1)。これにより未診断の希少難病を積極的に診断する全国プロジェクト(IRUD)が始まり、当院はIRUD基幹病院に認定され、臨床遺伝科を窓口として患者さんの診断を行っています。がんも同じ手法を用いて多くの遺伝子を同時に調べる検査を行っており、治療法の選択に応用されています。私たちは臨床腫瘍(しゅよう)科と協力して、がん遺伝子パネル検査を受ける患者さんの支援も行っています
このように、遺伝子の変化を調べて診断や治療に役立てていく医療を「ゲノム医療」と呼んでいます。遺伝子の検査は、①一生結果が変わらない、②将来が予測される、③親族にも共通する、という特徴があり、検査が陽性、陰性であった場合のみならず、検査をしない場合も含めたシミュレーションが必要です。また、すべての遺伝子を同時に調べる検査は、診断に行き着く可能性は高くなりますが、一方で目的外の変化に遭遇することもあります。将来の健康管理に役立つ変化が見つかることもあれば、逆に心配が先に立つ変化が見つかることもあり、それを知りたいか知りたくないかを前もって決めておく必要があります。当科では遺伝カウンセリングを通じて、検査前に十分に時間をかけて説明をし、意思決定を支援します。
心と体にやさしい着床前診断
お子さんが重篤な遺伝子・染色体疾患に罹患(りかん)するリスクが高い場合には、選択肢の1つに羊水や絨毛(じゅうもう)で胎児の検査を行う出生前診断があります。出生前診断は胎児が陽性であった場合に、夫婦が心と体に痛みを伴う可能性があります。私たちは産婦人科と協力して、特定の染色体疾患が心配な夫婦に対しては、採血で行う新型出生前診断も提供していますが、陽性の場合の心と体の痛みは避けることができません。
当科では、このような心と体の痛みを回避する目的で、院内の産婦人科と連携して着床前診断を選択肢の1つとして提供しており、全国から相談を受けています。具体的には不妊治療と同様に採卵を行い、体外受精(顕微授精(けんびじゅせい))で複数の受精卵を作ります。顕微鏡下で胚は生検(はいせいけん)をし、いったん胚は凍結します。その間に遺伝子や染色体の検査を行い、非罹患の受精卵を子宮に移植します(図2)。従来は3日目(8細胞期)の割球1細胞で診断していたため精度が高くはなかったのですが、現在は5日目で約100細胞になった胚盤胞から、将来胎児にならない5細胞を採取し、次世代シーケンスで解析するようになり、精度が飛躍的に向上しました。
近年は、不妊治療が不成功だったり、流産を繰り返す夫婦にも効果がある可能性が示唆され、学会主導の特別臨床研究が始まり、当施設も参加しています。このようにお子さんが重篤な遺伝子・染色体疾患に罹患するリスクが高い夫婦には、選ばないという決断も含め多くの選択肢があり、十分に時間をかけて説明を受け、十分に時間をかけて意思決定をする必要があります。当科では遺伝カウンセリングを通じて、出生前遺伝学的検査にかかわる心理的葛藤や意思決定を支援します。
遺伝性乳がん卵巣がん発症前診断
遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)とは、乳がんや卵巣がんを発症しやすい体質のことで、若くで、両側に発症しやすいです。その体質は親子で50%の確率で伝わります(図3)。その体質かどうかは採血でできる遺伝子の検査で分かります。発症前診断といい、自分ががんを発症する前に、その体質を受け継いでいるかを遺伝子の検査で調べることができます。乳がんの患者さんがこの検査が陽性であった場合には卵巣がんのリスクも高くなりますが、一方でこの体質の方に発症したがんによく効く特効薬による最新の治療を受けることができます。健康な親族が陽性であった場合には、健診の頻度(ひんど)を増やして早期発見を目指すことができます。
また、当院はHBOC総合診療制度機構の基幹施設に認定されており、乳がんや卵巣がんに対して、がんになる前に予防的に乳房や卵巣を切除する「リスク低減手術」という選択肢もありますが、費用のことも考えておかなければなりません。自分の子どものことも気になりますし、親族のどこまで自分の検査結果をお伝えするのかも、前もって考えておく必要があります。
このように、検査前に知っておくべきことがたくさんあり、また、検査を受けないという選択肢もあることから、十分に時間をかけて説明を受け、意思決定をする必要があります。発症前診断は、このような遺伝性腫瘍症のみならず、成人発症の遺伝性神経変性疾患においても複雑な問題を孕(はら)んでいます。当科では遺伝カウンセリングを通じて、発症前遺伝学的検査にかかわる意思決定や、それに伴う心理的葛藤をもつ方々を支援しています。
更新:2024.01.26