認知行動療法:前向きに、ではなく、客観的に

肥前精神医療センター

心理療法室

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町三津

認知行動療法:前向きに、ではなく、客観的に

精神科で提供する治療技法のひとつに「認知行動療法」があります。
「物事の捉え方をみつめなおし、気持ちを少し楽にしよう」というものです。

「Dr.スミス問題」と「思い込み」

突然ですが、「Dr.スミス問題」をご紹介します。「Dr.スミスは腕利きの外科医です。常に冷静で判断が早く、難しい手術をたくさん手掛けることから、周囲はとても厚い信頼をよせています。そのDr.スミスが夜勤のある日、交通事故で大けがをおった2人が救急車で運び込まれてきました。父親とその子どもがドライブ中、父親の不注意で谷へ転落したそうで、救急隊員によれば、車は大破し、特に子どもが重体とのことでした。緊急手術の準備を整えたDr.スミスが重体の子どもを迎えにきました。しかし、子どもを目にした瞬間、Dr.スミスは驚きのあまり、頭の中が真っ白になりました。なんと、運び込まれた子どもは、Dr.スミスの息子だったのです」。

この「Dr.スミス問題」を初めてご覧になった方で、特に何の引っ掛りもなく、文章をスムーズに読み終えることができた方は、普段から柔軟に物事を捉えることができる方かもしれません。ただ、多くの方が、初めて読んだ際には「んっ…?どういうことだろう…?」と頭を抱えてしまうようです。

さて、Dr.スミスの正体ですが、実は重体の子どもの「母親」でした。…という何でもない結論なのですが、多くの人がDr.スミスを「男性」と思い込みやすいために戸惑ってしまうようです。「Dr.スミスは男性である」とはどこにも書いていないのに、そう思い込んでしまう不思議。「外科医」だから…?「常に冷静」だから…?「判断が早い」から…?どれもDr.スミスが男性であることの根拠にはならないはずなのですが、「気づかないうち」に「思い込み」でそう判断してしまった、このような傾向が多くの人に当てはまるために、「Dr.スミス問題」は、いじわるクイズの一種として、まだまだ現役でいられるのかもしれません。

「前向きに」ではなく、「現実的」で「客観的」に…

現在、精神科において治療として提供されている認知行動療法にはさまざまな種類がありますが、ここでは、認知行動療法を初めてご存じになる方へ向けて、基本部分をご紹介します。

たとえば、「街中を散歩中、偶然に知り合いとすれ違った際に、こちらがあいさつをしても相手があいさつを返さなかった」という出来事に遭遇したとします。ある人はそれを「街中で、周囲がにぎやかだったから、自分のあいさつに気づかなかったのだろう」と考え、気に留めませんでした。しかし、ある人は「あいさつは聞こえたはずなのに無視されてしまった、きっと自分のことを良く思っていないからだろう…」と考え、モヤモヤしました。

図

もちろん、この2つの「捉え方」に正解・不正解はなく、単にその「同じ出来事」に対して、2人が「異なった捉え方をした」というだけの話です。ただ、「無視された」と捉えた後者のモヤモヤが長く続くとしたら、少しもったいないようにも思います。「あいさつを返されなかった」という事実に対する「無視された…」や「良く思われていないんだ…」という捉え方は、根拠に乏しい性急なものであったかもしれないからです。

認知行動療法は、このような「捉え方」に注目します。「捉え方」を、少し難しい言葉で「認知」といいます。「出来事(あいさつを返されなかった)」は変えようのない「事実」ですが、出来事に対する「認知(無視された)」は、あくまで「その人の」捉え方であり、練習によって変えていくことが可能です。そして、「認知」が変われば、その結果として生じる「気持ち」も変えることができ、モヤモヤする機会を減らすことが期待できる、というわけです。

…という説明をさせていただくと、「つまり、前向きに考えよう、ポジティブにいこう、ってことだね」と捉える方がおられますが、ここに大きな落とし穴があります。たとえば、「前向きに考えることが難しい」状態が症状そのものである「うつ」を患っておられる方に対して、「前向きに」とか「ポジティブに」を求めることは非常に酷なことです。精神科で提供する認知行動療法においては、そのような「捉え方の無理な変換」は求めません。

認知行動療法で試みる「認知のみつめなおし」のポイントは、「前向きに」、「ポジティブに」ではなく、「現実的に」、「客観的に」です。被害的な認知で不必要に不安を募らせたり、悲観的な認知で不必要に自分を責めるような認知を無理にポジティブな方向へ変換しようとするのではなく、その出来事を「現実的」、「客観的」に振り返ってみて、病気の症状やもとからの性格傾向による「認知のゆがみ」が影響し過ぎていないかを検討してみます。そして、その「認知のゆがみ」に気づくことができ、時間をかけて少しずつ「ゆがみ」を除いた捉え方ができるようになれば、その結果として不必要なモヤモヤや気持ちの落ち込みを減らすことが期待できます。

「柔軟な認知を身につける」とは、「思い込みを減らして、さまざまな可能性のもとで出来事を捉えてみる」ということです。ただ、「Dr.スミス問題」が教えてくれたように、「認知のゆがみ(勝手な思い込み)」は、それに気づくこと自体が容易ではありませんので、スタッフと一緒に日常のさまざまな出来事を振り返り、認知を検証し、ゆがみに気づき、さらに、他の捉え方を模索する練習を繰り返すことが大切です。

更新:2026.08.14