戦国武将から考える高血圧診療

平塚市民病院

腎臓内分泌代謝内科

神奈川県平塚市南原

恐ろしい病気のもと――それは高血圧

わが国の高血圧人口は4300万人と、まさに国民病といえる病気です。非常に身近な病気の1つですが、非常に怖い病気の原因でもあります。

高血圧を放置しておくと、心筋梗塞(しんきんこうそく)などの心臓病、脳卒中、慢性腎臓病、失明などさまざまな病気の原因となり、皆さんの日常生活に大きな影響を及ぼしかねません。近代以前は、血圧測定が困難だったため、詳しいことは分かっていませんが、昔から多くの日本人が高血圧だったといわれています。その要因として日本人は塩分過多であり、1950年代の東北地方の人々の塩分摂取量は1日平均約30gだったといわれています。

塩分過多は高血圧の大きな原因の1つであり、近年、塩分制限の重要性が知られてきています。

戦国武将と高血圧との関係

歴史上の人物から高血圧について考えてみましょう。

上杉謙信

北陸の戦国武将である上杉謙信は、毘沙門天といわれ、その戦略の巧みさは戦国一です。北陸の寒さの残る4月の厠(かわや)で脳卒中を起こして49歳で死去しました。上杉謙信は戦場では負けませんでしたが、病気に負けてこの世から去りました。上杉謙信のライフスタイルは、酒豪、酒の肴(さかな)は干物、梅干し、塩や味噌だったようです。これら塩分の高い食事は、上杉謙信の体に高血圧を引き起こしていた可能性が高いと考えられています。4月の北陸の厠は気温がかなり低く、寒さにより急激に血圧が上昇した可能性が考えられます。また戦国武将であることから、日常的に命の危険にさらされ、ストレスの高い状況が続いていたことも容易に想像できます。

上杉謙信がこの世を去る1月前に詠(よ)んだ詩があります。

四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒

この詩には、高血圧の原因の示唆するものがちりばめられています。

一睡夢:
睡眠時間が高血圧を含めた生活習慣病の発症にかかわっているといわれており、近年注目を集めています。
一期栄華:
戦いに勝つことで栄華を得ることができましたが、その背景には多大なストレスが存在し、血圧上昇に影響していた可能性が考えられます。
一盃酒:
酒の肴の高塩分食が高血圧に寄与していたことは疑いようもありません。

この詩からも分かるように、睡眠、食事、ストレスが上杉謙信の血圧に影響を与えていた可能性が考えられます。

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織田信長

ご存知、激烈な性格と高い求心力で日本統一に大きく貢献した、戦国時代のスターです。激烈な性格はA型性格といわれ、ストレス感受性が高く、血圧上昇しやすい性格といわれています。A型性格の特徴は、①競争心が強い②イライラしやすい③怒りっぽいなどです。A型性格やストレスは、自律神経の一種である交感神経を介して高血圧を引き起こし、さらに心筋梗塞などの発症率も高いといわれています。

織田信長は「本能寺の変」で死去しましたが、生き残っていたとしても、その後数年以内に「本態性高血圧の変」で亡くなっていたかもしれません。

イラスト

当院における高血圧診療

高血圧を是正するためにはライフスタイルを改善し、必要があれば薬による治療を開始することが肝要です。

当院では、患者さんのライフスタイルから高血圧を一緒に考え、良好な血圧コントロールから将来の心臓病や脳卒中を未然に防ぐことに力を注いでいます。また近年、いくつかの先進的な高血圧治療が注目されています。
①減塩のための新しい治療:慶応義塾大学が開発した、舌の裏に置いて、しょっぱさを増大させる「ソルトチップ」
②交感神経を直接抑制:カテーテルを用いて、腎臓の血管にまとわりついている交感神経を焼いて血圧を低下させる「腎神経除神経術」
③新規不眠症治療薬により、良好な睡眠によって血圧を低下させる、などがあります。

当院では、特に不眠症治療薬による降圧効果に注目し学会発表などを行っており、2016年に学会賞受賞や医学情報誌「日経メディカル」にも取り上げられています。

上杉謙信や織田信長も、現代に生き平塚市民病院を受診していたら、長生きできたかもしれません。

更新:2022.08.08