がん化学療法ー認定薬剤師の立場から

いわき市医療センター

薬局

福島県いわき市内郷御厩町久世原

進化するがん化学療法

抗がん剤による治療は、がん化学療法(ケモセラピー/Chemotherapy)と呼ばれています。抗がん剤の始まりはマスタードガスで、もともとは農薬として開発されましたが、毒性が強く開発は放棄されました。その後、このような性質のために、第一次および第二次世界大戦で毒ガスとして使用された歴史をもっています。被曝(ひばく)した兵士の症状の1つに血液成分である白血球の減少がみられました。

白血球は、がん細胞と同様に正常細胞に比べて細胞分裂の速度が早いという共通点があります。このことから毒性を軽減した物質が開発され、当時は放射線治療しかなかった悪性リンパ腫(しゅ)の治療に応用する試みがなされ、効果があることが分かりました。この系列の抗がん剤はアルキル化薬に分類され、シクロホスファミドなどは、現在でもいくつかのがんに対して使用されています。その後、代謝拮抗薬・アンスラサイクリン系薬・プラチナ系薬などが開発されていきますが、私が薬剤師になった当時(1992年)の薬理学の教科書には、アルキル化薬に代表される殺細胞薬・抗腫瘍性(こうしゅようせい)ホルモン薬・免疫賦活薬(めんえきふかつやく)のみが記載されています。しかし、2000年代に入ると、がん細胞の増殖シグナルを抑制する分子標的薬やチロシンキナーゼ阻害薬が次々と開発され、がん細胞のみをターゲットにしようという試みが進みました。

2018年には、京都大学の本庶佑(ほんじょたすく)名誉教授が免疫チェックポイント阻害薬(ニボルマブ)の開発でノーベル賞を受賞しました。免疫チェックポイント阻害薬はこれまでにない新しい作用機序を持ち「あらゆるがんに効果を示し治癒が期待できる可能性を秘めている」と考えられており、今後の研究開発が進んでいくことに大きな期待が寄せられています(図)。

イラスト
図 免疫チェックポイント阻害薬の作用機序

抗がん剤治療は、作用機序の異なる複数の薬を併用することで、効率的にがん細胞を攻撃しようという手法が多くとられ、さまざまな組み合わせの投与計画(レジメンまたはプロトコル)があります。当院では、臨床試験を経て効果があることが証明された治療法について、がん診療委員会レジメン部会で審議した上で電子カルテに登録を行い、過剰投与による医療事故を防ぐシステムを運用しています。

術後補助化学療法の効果と副作用

がんは、手術してきれいに全部切り取り治癒することが理想ですが、種類と病期(ステージ)により、手術適応とならない場合や、手術ができたとしても一定の割合で再発してしまうのが現状です。ここで抗がん剤による治療が大切になってきます。手術後に行われる抗がん剤投与は「術後補助化学療法」といわれ、一定期間の抗がん剤投与により、目に見えないがん細胞の除去効果を狙った治療法です。術後補助化学療法は、可能な限り治療計画に沿って投与量を減らすことなく完遂することで治癒の確率が高まります。

しかし抗がん剤は、効果発現域と副作用発現域が重なっているため、患者さんにとってつらい治療となってしまいます。主な症状としては、食べられなくなる副作用(吐気・口内炎・下痢)、血液の副作用(白血球が減ってばい菌に感染しやすくなる・貧血・血小板が減って血が止まりにくくなる)、脱毛、手足のしびれ、倦怠感(けんたいかん)などです。以前は抗がん剤の副作用に対する薬が少なく、毒性を軽減する手だてに乏しかったのですが、近年この毒性を抑える薬が非常に進歩しました。副作用が軽減され、計画通りに治療が行えるようになったことで、抗がん剤の治療効果は飛躍的に伸びてきています。このことは進行再発のがん治療においても同様のことがいえます。また、副作用対策の発展により、以前は入院でしかできなかった点滴治療を外来通院で行うことが可能になりました。また、内服抗がん剤も多く開発され、通院や仕事をしながら治療を行うことが今後も増えていくと予想されます。

薬剤師の役割とは

薬剤師が、がん治療に積極的にかかわるようになったきっかけは、2006年に「がん対策基本法」が施行されたことによります。これを受けて、がん治療に詳しい薬剤師の育成(各団体の認定など)が始まりました。患者さんにとって薬剤師の仕事は、処方せんに従い、薬を調剤し薬効や飲み方・副作用の可能性を説明する、というイメージが強いと思います。

薬剤師法の1条には「薬剤師は、調剤、医薬品の供給その他薬事衛生をつかさどることによつて、公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。」と規定されており、薬の安定した供給に努めることは薬剤師の基本的な任務として位置づけられています。この法律の後半の部分には調剤を行うだけではなく、薬によって患者さんの健康な生活を確保する、つまり、薬を正しく使用し、薬の副作用を軽減することで、できる限り患者さんが不利益を被ることのないよう努めることも重要な任務であると読み取ることができます。

このため、当院の開院に先立ち、院内処方せんおよび院外処方せんに血液検査値等を表記することや、調剤薬局薬剤師と医師との連絡ツールであるトレーシングレポートを導入し、地域の医療機関が連携しやすい体制づくりを進めてきました。また、開院に合わせて病棟のスタッフステーションにはサテライト薬局コーナーを開設し、医師や看護師などの他職種だけでなく、患者さんからも薬について相談しやすい環境づくりを実現することができました。今後、薬剤師が職能を最大限に発揮し、医療現場に欠かせない存在となることを願ってやみません。

閉鎖式薬物移送システムの導入

冒頭で「抗がん剤の始まりは毒ガスである」と述べました。抗がん剤は、がんの患者さんには恩恵をもたらしますが、そうではない患者さんや医療スタッフにとっては細胞毒性を持つ有毒物質以外の何物でもありません。曝露を防ぐため、抗がん剤の調製は薬剤師が専用の調製室で安全キャビネットといわれる陰圧機器を用いて衛生的かつ閉鎖的に行っています。

しかし、どれほど取扱いに注意したとしても、注射薬の調製をしたり点滴バッグに輸液チューブを装着したりする際に抗がん剤がわずかにこぼれ、そこから汚染が広がることが分かっています。抗がん剤に汚染されていても目で確認することはできず、匂いもしません。

当院では2019年2月より、抗がん剤の使用に際して閉鎖式薬物移送システム(調製時や投与時に薬物の漏出を防ぐ仕組み)を全面導入し、新施設が抗がん剤で汚染されるリスクを最小限にすることが可能となりました。現在、この取り組みを行う病院施設は全国的にも数少なく、患者さんや働くスタッフにとって優れた環境の病院です。

更新:2024.01.25