遺伝子の変化に応じて治療薬を使い分ける― 「がんゲノム医療」とは?
滋賀県立総合病院
消化器内科 化学療法部
滋賀県守山市守山
がん遺伝子の変化を知ることは、がんの原因と性質を知ること
がんがどのような病気であるかについて、この数十年の研究により非常に多くのことが分かってきました。中でも最も大きな発見は、がんは私たちの体にある細胞の遺伝子に変化が積み重なることで生じる病気だということです。
がん細胞も元をたどれば私たちの体の中にあった正常な細胞ですが、それが細胞の設計図である遺伝子の変化によって異常なふるまいをする状態になったものが、がん細胞です。遺伝子の異常が積み重なり細胞の性質に異常をきたすということは、遺伝子に生じた異常を知ることが、がんの治療の糸口をつかむことにつながっていくかもしれません。
がん遺伝子の変化は一人ひとり少しずつ違っています
これまでのがんの薬物療法は、同じ臓器のがんであれば全員が同じ治療薬の投与を受けるのが一般的で、肺がんには肺がんの治療薬を、大腸がんには大腸がんの治療薬を、乳がんには乳がんの治療薬を投与するという画一的な治療を行ってきました。以前はがんの治療薬の種類も少なく、またがん細胞の性質に関する研究が進んでいなかったので、このような治療を行うしかなかったのです。
しかし、21世紀に入ってから遺伝子解析技術が急速に進歩したことによって、状況が一変しました。皆さんは、肺がんのゲフィチニブや乳がんのトラスツズマブといった治療薬の名前を耳にされたことがあるでしょうか。これらの治療薬は、遺伝子の変化によって起こった細胞の異常を狙い撃ちにする、分子標的薬(ぶんしひょうてきやく)と呼ばれる新しいタイプの治療薬です。ゲフィチニブはEGFRという遺伝子の異常な活性化を起こしたがん細胞に対して、またトラスツズマブはHER2というタンパク質を過剰に作り出したがん細胞に対して、高い治療効果を示す分子標的薬です。
このような治療薬が普及してくると、同じ臓器に起こったがんでも、個別の遺伝子の変化に応じてさまざまな治療薬を使い分ける必要が出てきました(図1)。こうした遺伝子の変化のタイプに応じて治療薬を使い分ける新しい時代のがん治療を、「がんの個別化医療」や「がんゲノム医療」と呼んでいます。
分子標的薬が狙い撃ちにすることができる遺伝子の種類は年々増加しており、患者さん一人ひとりのがんの性質に応じた最適な治療を行うためにも、がんゲノム医療が一層重要性を増してきています。
がんの遺伝子を調べる遺伝子パネル検査
がん遺伝子パネル検査は、手術で切除した病変や生検で採取した細胞を用いて、がん細胞に生じた多数の遺伝子の変化を網羅的に調べるための検査で、一部のがん患者さんを対象に2019年より保険診療として行うことができるようになりました。これにより、がんの遺伝子変異に対して効果が期待できる薬があるかどうかを調べることができます。
がん遺伝子パネル検査は現在も発展途上中の技術で、国が定めた基準を満たす医療機関でしか行うことができませんが、当院は2019年4月よりがんゲノム医療連携病院の認定を受け、がん遺伝子パネル検査を実施しています。
がん遺伝子パネル検査の課題と問題点
残念ながら現状では、保険適用でがん遺伝子パネル検査を行うことができるがん患者さんには細かい条件が定められており、それらの条件を満たす方しか検査実施の対象となりません。検査を受けるための前提条件として、何よりもがんによる衰弱が進行しておらず、体力的に十分な余裕があることが必要です(図2)。
また、数百の遺伝子の異常を調べても、治療薬の候補が見つかる方は検査を受けた方の10%程度しかいないといわれており、がん遺伝子パネル検査を受けても治療薬の候補が見つからない方が少なくありません。
さらに現状で残されている大きな課題として、検査後の治療のために必要な遠方への通院や金銭的な負担の問題があります。保険適用で行うことができるのは遺伝子の変化を調べるがん遺伝子パネル検査の実施までで、検査後の治療薬はまだ保険承認されていないことが少なくないため、がん遺伝子パネル検査のあとは保険診療で治療薬の投与を受けられないケースが多いのです。治療を受けるために滋賀県外の遠方の医療機関に頻回の通院が必要となったり、治療薬が10割負担で高額療養費制度の対象にもならないため、月額数十万円もの自己負担が生じることもしばしばあります。
したがって万人にお勧めできる検査とは言いがたく、またパネル検査を希望された方の全員が受けられるというものでもありません(条件に該当するかどうか審査があります)。
まずは、現在のがん治療の主治医が提示する標準治療(現時点で最も確立されており、実績の認められている治療)を受けることをお勧めします。その上でなお体力的にも意欲的にも余裕があり、がん遺伝子パネル検査を受けたいと希望される方は、ぜひ一度主治医に相談してください(図3)。
更新:2024.10.04